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複数名が読んだ本を記録するブログ。

蓬郷巌(1976)『岡山の県政史』

 今回の備忘録は『岡山の県政史』.

 蓬郷巌『岡山の県政史』は日本文教出版の岡山文庫シリーズの69冊目として刊行された文庫本である.発行は1976年である.

岡山文庫について

 岡山文庫は地方の出版社が発行する郷土に関する書籍の一種であり,2020年4月9日時点では,累計で316巻が発行されている.ジュンク堂書店池袋店9階の「ふるさとの棚」コーナーを見る限りでは茨城や福島をはじめとした各地で類似のシリーズが発行されている.なお,岡山文庫の数は(ジュンク堂の中では)どうやら多いようで,他県の書籍コーナーに比べて場所をとっている.郷土の「すべて」を伝えんとする本が多く生み出され,さらには700kmも離れた首都東京でも容易に入手できる文化は,岡山県民として誇らしい気分になる(もはや「教育県」の実態を失って久しいことには目をつぶろう……).

『岡山の県政史』について

 本書は1976年発行のため,当然ながらそれ以降の県政を扱っていない.本書の最後は,あの長い長野県政の初期,(今は亡き)国鉄山陽新幹線が博多まで全通したばかりのころで終わっている.長野県政の後半(このころ瀬戸大橋開通)や石井・伊原木両知事の施策を知りたければ別の書籍にあたる必要がある.また,県政史であるから,明治維新より前は扱われない.

 ちなみに,県政以前については同シリーズの市川俊介『吉備ものがたり』上下巻が扱っている.別に,山川出版社の『岡山県の歴史』を読めばよいのだろうが…….

 なお,本書が写真や表に富んでいる点は特筆すべきであろう.巻末には県政年表や人口・予算額・県政要人一覧表も付けられている.

県政史概観*1

 維新直後のころは,行政・租税・教育・警察の諸制度が目まぐるしく変わっていた.当時の諸政策が岡山県の観点から記されているため,県民から行政まで,明治政府の政策への対応・適応に苦労していた様子がみられる.県民の不満も大きかったようで,備前・美作では農民が税制改正や徴兵令に反対する一揆を起こしている.地主の地租改正への抵抗も強く,県内と中央との板挟みにあった当時の石部県令は免職された.

 この地租改正問題を強権的に解決したのが高崎県令であった.自由民権運動のころに新聞や雑誌をドシドシ弾圧しながらも,殖産興業や士族授産でその鉄腕をふるった.また,高崎の時代にはコレラ流行や水害が起こり,これにも対処した.非常に限定的ながらも県会を通じて県民の参政も可能になったし,後楽園一般開放や県庁(いまの天神山文化プラザのあたり)建設もなされた.高崎の県政はまさに激動の時代であった.

 こののち,明治後半には,銀行の発展や鉄道整備(中国鉄道・岡電整備に山陽鉄道国有化),宇野港の築港などが進んでいく.また,当時の岡山県産米はえらく評価が低かった.これを是正するために県は農業の近代化に精力的に取り組んだ.さらにはこの時代には江戸から続く児島湾(穴海)の大規模干拓が進められた.金策に苦心した末,大阪の藤田という豪商が中心となった.また,教育面で言えば第六高等学校を広島との誘致合戦で勝ち取ったのは注目すべき点である.

 米騒動や大正・世界恐慌のころには岡山では防貧を目的とした社会福祉制度(のちの民生委員)が制定された.国政では庭瀬出身の犬養毅が活躍して久しいころであるが,大正の県会は,当初は犬養のいた国民党が優位であった.しかし,のちに政友会が優位になる.昭和に入ると徐々に民政党も勢力を伸ばした.また,このころ県知事は頻繁に交代した.

 岡山が「教育県」と呼ばれたのは,昭和初期のころであった.当時は県財政に見合わぬほど多くの中等学校を整備し,中等教育の就学率が高まっていた.とりわけ,高等女学校の充実は著しく,就学率は全国首位であった.また,このころ高梁川が一本になり,酒津から東に流れた旧河道には多くの工場(倉敷紡績や水島の三菱飛行機)が建設された.

 大戦前には岡山県世界恐慌の影響を受ける.困窮する農村の救済のために県は積極財政をとったが,その負担は重く,破綻の危機がささやかれるほどであった.また,数年おきに追い打ちをかけるように,室戸台風旱魃の被害を受けた.

 大戦中の県民は積極的に国家の戦争方針に従った.特に金属供出への協力は全国でも大きい方であり,白金の供出量は日本一である.大戦の後半になると水島の工場群を皮切りに,岡山市へも空襲が行われた.

 敗戦を迎える岡山県では,玉音放送を前に治安悪化に対する対策が取られたが,騒乱は起こらなかった.威信の低下した行政・警察は進駐軍の威光を借りながら,戦後の混乱を収拾する.戦後の改革が進む中で,初の公選知事に就任したのは西岡であった.西岡県政は基本的に戦後改革への対応であったが,旭川ダムに関しては,県が日本発送電の湯原ダムと同時に整備した.

 次に就任したのが名知事と名高い三木行治である.三木は学者グループを重用しながらもリーダーシップを発揮した.三木は昭和の大合併に先駆けて県内の市町村合併を促進し,既存4市(岡山・倉敷・津山・玉野)以外にも多数の新市が誕生した.三木の業績は現在の県庁建設や国体の成功など,多岐にわたるが,最大の功績は水島開発と企業誘致の成功であろう.三菱石油をはじめ川鉄などの大企業を呼び寄せて「誘致キング」とも呼ばれた.

 三木県政最後にして最大の挫折は水島での成功を受けて普段の覚悟で提示した県南広域都市(百万都市)の失敗といってよいだろう.この計画は岡山・倉敷両市長などの抵抗を受けて,両氏を中心とした合併という妥協に帰着した.

 三木の次は加藤武徳である.加藤県政は井笠地区の工業地帯整備や交通インフラの整備を進めた.山陽新幹線中国道山陽道の整備を筆頭に各種幹線交通の整備を計画した.この中には井原線や瀬戸大橋,国道の改良も含まれた.瀬戸大橋誘致は精力的に行われ,新全総で採用された.なお,加藤は農業開発や公害対策にも取り組んでいる.

 本書の最後に現れるのが,自民党系の加藤を破って当選した元自治事務次官・長野士郎である.長野県政は三木・加藤県政の産業重視の方針から,県民の福祉を重視する政策に転換している.その中で生み出されたのが福祉県岡山の象徴たる吉備高原都市であった.

非常に雑な,雑で仕方がない,雑感

 まず(逃げのようであるが),県政史概観の項すらも一糸まとわぬ主観の塊であることと,そもそも岡山県史に関して勉強が圧倒的に不足していること,歴史学の専門教育を受けていないこととの3点を断っておきたい.自分で見返しても粗末な備忘録である.

 さて,本書を眺めたのは,個人的な関心からである.私が個人的に興味を持っているのが戦後,特に三木県政下の百万都市構想であるから,その点について本書のみでは当然ながら不足がある(当該構想に割かれたページ数は2である).県南広域都市構想の概略を知るには先行研究をはじめ県史や倉敷市史,当時の行政文書など多くの文献にあたる必要がある(と思われる).

 しかしながら,私個人の関心と射程が異なる点は多くの人には関係がない.そうしてみれば,本書は長野士郎知事以前の県政史全体についてサッと概観するにはもってこいの本である.なにより,ページ数が少ない.本編は上下二段の文庫本で159ページである.文庫本であるからコンパクトである.県政史に興味をもった人が第一に触れるのには良いだろう.誰も数冊組の『岡山県史』を持ち運びたくはない(そもそも入手できるだろうか?カバンが壊れないだろうか?).ただ,改めて言うが,出版年が相当昔であるため,様々な面に古さは否めない.その点に留意するほうがよい(自戒を込めて).

参考文献

蓬郷巌(1976)『岡山の県政史』岡山市日本文教出版

*1:この項は蓬郷(1976)によっている.